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長崎奉公所西役所の一室において医学伝習を開始
養生所を開設(長崎大学病院の起源)、1865精得館と改称、10月分析窮理所を設置、1868.10長崎府医学校と改称
医学所を養生所横に併置
長崎県病院医学校を設置、1871.10文部省所管となり長崎医学校と改称、1874台湾出兵により廃止
官立長崎師範学校設置(1878.2廃止)
長崎県小学教則講習所設置、1875.2養成所と改称、1876.1小学教師養成所と改称、1876.5長崎県公立師範学校と改称、1877.4崎陽師範学校と改称、1878.6長崎師範学校と改称、1886.6長崎県尋常師範学校と改称、1898.4長崎県師範学校と改称
長崎病院内に医学場を開設し、医学教育機関が再開、1878.1長崎医学校と改称、1879.1県立とし、長崎病院を医学校附属に代用、1883文部省令に基づき甲種医学校に指定される、1887.9廃止
長崎県女子師範学校設置、1886.4長崎師範学校女子部となる、1908.4長崎県女子師範学校として分離独立
中学校令に基づき、第五高等中学校医学部を設置
第五高等中学校医学部に薬学科を設置(薬学部の起源)
西彼杵郡浦上山里村に第五高等中学校医学部、同薬学科が新築移転(坂本キャンパスの設置起源)、1894.9
高等学校令に基づき、第五高等中学校医学部は第五高等学校医学部及び同薬学科と改称
専門学校令に基づき、第五高等学校医学部は分離独立し、長崎医学専門学校及び同薬学科を設置、
1923.3官立医科大学官制により長崎医学専門学校は長崎医科大学に昇格
長崎高等商業学校を設置(経済学部、片淵キャンパスの起源)→1944.3長崎経済専門学校と改称
長崎県実業補習学校教員養成所を設置→1935.4長崎県立青年学校教員養成所に改称
長崎県実業補習学校教員養成所に水産科新設(水産学部の起源)→1944.4廃止
長崎県青年学校教員養成所女子部を諫早高等女学校内に開設
師範教育令改正に基づき、長崎県師範学校・長崎県女子師範学校を統合し、官立長崎師範学校となる
長崎経済専門学校に長崎工業経営専門学校を併設(1946.4廃止)
長崎県青年学校教員養成所(男子部・女子部)は官立長崎青年師範学校となる(1948.4水産科再設置)
長崎高等学校(旧制)設置
国立学校設置法により、旧制の長崎医科大学・長崎医科大学附属薬学専門部・長崎経済専門学校・
長崎師範学校・長崎青年師範学校・長崎高等学校を包括し、学芸学部(甲類・小学校教員養成科、
中学校高等学校教員養成科、乙類・小学校教員養成科、中学校高等学校教員養成科)、
経済学部(経済学科、商学科)、医学部(医学科)、薬学部(薬学科)、水産学部(漁業学科、
水産製造学科、水産増殖学科)の5学部から成る新制長崎大学を設置
長崎高等学校廃止
長崎医科大学附属薬学専門部、長崎経済専門学校、長崎師範学校、長崎青年師範学校廃止
学芸学部が長崎市大橋町に移転(現在の文教キャンパス)
長崎医科大学廃止
教養部を設置(分校廃止)
工学部(機械工学科、電気工学科)設置、学芸学部を教育学部と改称
教育学部に養護学校教員養成課程設置、薬学部に製薬化学科設置、工学部に構造工学科設置
経済学部に貿易学科設置
工学部に土木工学科設置、1970.4材料工学科設置、1972.4工業化学科設置
経済学部の商学科を経営学科と改称
水産学部の漁業学科・水産製造学科・水産増殖学科を水産学科に改組
教育学部に幼稚園教員養成課程設置
工学部に電子工学科設置、1978.4機械工学第二学科設置
歯学部歯学科設置
薬学部の薬学科・製薬化学科を薬科学科に改組
工学部電気工学科・電子工学科を電気情報工学科に改組
工学部機械工学科及び機械工学第二学科を機械システム工学科に改組
環境科学部(環境科学科)設置、教養部廃止
経済学部経済学科・経営学科・ファイナンス学科を総合経済学科に改組(昼夜開講制の実施)
教育学部の4課程を学校教育教員養成課程、情報文化教育課程に改組
工学部電気情報工学科を電気電子工学科及び情報システム工学科に改組
医学部に保健学科設置
国立大学法人法により、国立大学法人長崎大学が長崎大学を設置
薬学部薬科学科を6年制課程の薬学科及び4年制課程の薬科学科に改組
教育学部の2課程を学校教育教員養成課程の1課程に改組
工学部7学科を1学科(工学科)に改組
多文化社会学部を設置
情報データ科学部を設置
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